本当に小さくて個人的な快挙

気がつけば2月も三分の一に差しかかろうというのにブログを更新していなかった。油断ならない。読むほうは遅々としているが少しずつ取り戻せてきたし、書くほうは順調でも不調でもない。とにかく普通。けれど、とにかく普通ほど安心できるものはないなとも思う。しかもここにきて体調と精神と、いい具合にバランスをとれてきているのだ。先般の山梨旅行がよかったのだろうな。

 

それでは描くほうはどうか。まあこれも普通。昨日も昼間に思いついたネタをメモしておいて、帰る途中にふつふつ煮詰め、帰ったら帰ったでなかなか思うようにならなくて苦戦しつつ、挙句の果てに煮こぼれしそうになるも、まあなんとか相応の最低限のかたちにしてツイッターにアップできたという次第だった。ありがたいことに私のような中途半端な創作しかできない人間の作品にも反応があり、昨日のものは私にしては珍しいくらいの評価をいただけた。

たくさんリツイートやいいねをしていただけることは当然のこと嬉しくあるのだが、そもそもたとえひとつだけでも、どんな方にしてもらったとしても、それは本当にありがたく喜ばしいことだと思っている。もちろんフォロワーの多い方にリツイートをしてもらったり、私には及びもつかないほどのレベルの方からなぜかいいねをもらったりすると興奮してしまうこともあるが、これは「ナンデ!?」という驚きのほうが大きい。いずれにせよ個人的にはどんな場合でも、リツイートひとつ、いいねひとつ、それぞれ平等だということには変わらないと考えるものである。

ただ、ただ、昨日の絵においてはそこに例外を作らざるをえない。

実はリスくんさんからいいねをもらえたのである。感動でときめいてしまった。いまさら言うまでもなくリスくん氏が私からしたら天上人であることは自明で、ガルパンの同人世界で大きな足跡を残してきた人であるからして当然なのだが、実はここには一方的な思い出がある。

私がガルパンにハマって最初に買った同人誌は氏の西ダジ本だった。劇場版からガルパンに入り、特にいいなと思ったのがダージリン(というか聖グロのみんな)と西さんで、その2人がいい感じに仲良くしてる豊かな発想がたまらなった。以前いたカイワイでやらかしてトラウマを負った私はまだあれこれ妄想を広げることにかなりの躊躇があったけれど、この本のおかげでその楽しさを思い出せた節がある。リスくんさんは私の想像力の恩人なのである。直接の因果ではないが、創作を続けられたのも、ドピコながら同人サークルみたいなこともできるようになったのも、根っこの経験にはあの西ダジ本があるのではないかと思う。

本当に正直を申すと、あまりに強烈すぎる作風からすべてのお仕事を追っているわけではなく、尊敬ゆえに遠ざけているところもある。そしてそもそも私の貧弱な発想と実力を考えれば、罷り間違おうとも接点が生じることはありえないだろうと思っていた。

しかし、どうしてか昨日の絵にいいねが付いていた。いい意味での評価をしてもらった(と見て差しつかえないよね……?)というのだ。「ウッッッソ、マジでリスくんがワイの絵を認識したんかッ!!!!??? なんで????」みたいな感じで眠気がみんな吹っ飛んでしまったけれど、そのあと冷静になりきって、思い出をほんのり回顧し、今度は感動がじわじわと湧きあがってきた。本当は全身を動かしたかったけれど、近隣の迷惑にならないように、私は心の中で歓喜の小躍りをした。

ガルパンにハマり、それからなぜか創作までするようになり、2年ちょっと。まさかこんなことが起こるとは思っていなかった。もちろんいいねをもらえたということは、どれほどすごい人からもらえたのだとしても、ひとつのいいね、ひとつの出来事でしかない。むろん接点ができたというわけではない。私の実力が向上したことの直接的な証明にはならない。ただ、やっぱりいいなとか、創作って楽しいなとか、そう思えた。私はまたユカイに酔い、ステキに勘違いし、またしばらく詩的に思い上がるための機会を得た。そういうことでしかなかった。それは世間的に見れば小さいことかもしれないが、存分に私のためになることであった。

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