書訪迷談(1):なんか読んでた話

 

アンチクリストの誕生 (ちくま文庫)

アンチクリストの誕生 (ちくま文庫)

 

 

さいきんドイツ語を学び直そうという気概がにわかに湧いてきている。実はこの関係は出会ってから現時点まで途切れたことがないのだけど(私より何千何万倍と語学ができる長期留学経験者の友人諸賢でさえ別の道へ進んでいるというのに)、いかんせん要領が悪すぎるせいか学んだはずの事項も抜け落ちていたり明らかに半端な定着のままになっていたりするところがあり、基礎から骨組みから点検して改めて強固にしようという心づもりなのだ。しかしおそらく偽装さながらの実態が明らかになるのではないかと恐れるばかり。とにかくいつも触れているわりには、こう、やってない人よりはできるねレベルから前に進めていない。これは私の絵とか文章にも言えることだから性根の問題だろう。本気で克服しようと思ったらここを徹底して叩かないといけないだろうけど、ささやかな野望のためにはひとまず焦る気持ちを抑えて漸進運動から始めたい…と思われたのが数日前のこと。けれどもまだ未完成品を満足にしなければならないという大切な仕事が控えているから、またもう少し後のことになるのだろう。

 

で、その言語とは付き合いがなんだかんだある。あるという割には、ドイツ文学にはそれほど親しんでこなかった(そもそも私はドイツそのものにはあまり愛着を抱いていない)。ついそのままでいいかなと過ごしてきたが、だいたい十ヶ月くらい前だったろうか、ちくま文庫から出ているレオ・ペルッツ『アンチクリストの誕生』を読んだとき、おや、と張り切り気味に困惑することになったことをよく覚えている。すごく面白いのだ。なんだこれは、と。えらく興奮していた。歴史=事実という一見すれば圧倒的絶対的としか思われない断崖の肌に幻想風味の豊潤な果実が見事に成っているではないか。それからしばらく「なるほどなあ…なるほどなあ…」としみじみ感動するしかなかった。たしかにゴム人間の主人公が出てくるとか空想生物が跋扈するとかいう類のファンタジーではない。どちらかといえば病んだ日常の過度に肥大した罹患部とかあらぬ方向へ延長した現実の深奥部とかに入り込まざるをえなくなった人々の物語で、あくまで人間の描写は人間のままの姿で徹底的に抉り出されているように思う。それに突飛な発想や奇怪な人格形成、過剰におどろおどろしい語彙を誤魔化しに乱用することはなく、まず物語叙述からして非常に巧みで実に読みやすい。私が評するにはあまりに畏れ多いこととは思いつつ、翻訳がたいへん素晴らしいことにも言及しておきたい。このような作風を厳密にどのようなジャンルにカテゴライズすればよいのか不勉強にして不明なのだが、やはりこれも幻想文学なのだろう。なんとなくそれにとどまらない器用さも見受けられるあたりまだまだ計り知れないスケールの大きさを感じる。拙い読後感から余分な私見を添えるようだが、この作家を評して「やはり小説は事実より奇なり」と言いうるのではないだろうか?

※ちなみに上記の感想は当時の思念をおぼろげに探りながら書いている部分も多いので再読したら修正するかもしれない。なんだかトンデモ言っているような気もするし。

 

そうだ、それだったのだろう。これだったのかもしれない。ある種の感慨がある。たとえば大学生になったころを思い出す。ゲーテやその後の教養小説をいくつか読んでみたところで、教養皆無な田舎産の芋でしかないめえぜるさんにはイマイチしっくりこないのだった。そのくせ一丁前にトガっていたこともあって「ゲーテは紀行文のほうが面白いんじゃないか」とかのたまう始末で、我ながら悪い読者だったと恥じいるばかりである。しかし、いまやこの国の文学史に別の脈動があることを知り、なにか掴んだ感もある。そう、いささか正道とは言いがたくも一応ドイツ文学の軍門を拝めるまでの道筋をつけられたのは、多少風変わりだが優れた語り部であるペルッツのおかげであろう(ちなみに彼はオーストリアの作家だ)。ただその一方で感動の大きさを受け止めきるだけの器がまだ私に備わっていなかったのも事実で、それを咀嚼して消化すること自力にて能わず、書店や古本屋に行く際に選択肢のひとつとして意識しながらこの種の書籍に目を光せるなどしていたものの、没入や耽読という段階にはこの時点では至らなかった。来る日に備えて。後回しがちな他力任せ。私の悪い癖である。そんな日が、きっかけが、果たして私のもとに到来してくれるとは限らないのに。

 

そして時間はあっという間に過ぎ去った。今夏はそのころ書き進めていた聖グロ本の影響で英文学を重点的に読み漁っており(かたちというか雰囲気から入りたいので…)、その前後では相変わらず分野を定めない読書をしていたが、さいきんになってなんとペルッツ『どこに転がっていくの、林檎ちゃん?』がまたしてもちくま文庫から同じく垂野創一郎氏の翻訳で12月に出ることを知った。珍しく準備が役立ちそうだと小躍りをしながら本棚をざっと洗ってみると、氏の優れた訳業である『ワルプルギスの夜 マイリンク幻想小説集』がすぐに見つかる(ハードカバーで重厚な装釘だから存在感が段違い)。他にもペルッツ『第三の魔弾』や、なんとか新品で手に入れたマイリンク『ゴーレム』もある。「まだそのときではない」が「いまそのときである」へ、意識が変じようとしているのかもしれない。しばらくどれにしようか迷ったのち私は『ゴーレム』を手に取った。もちろん、これを読もうというのだ。

 

〈つづく〉