書訪迷談(6):いいにくはおいしい

 

會津八一 (中公叢書)

會津八一 (中公叢書)

 

 

むかしそれほど親しくない知人と話していて、彼の友人に本好きがいるという話になった。部屋の床は本でいっぱいに埋め尽くされ、うず高く積み上がっているという。それは大したものだなあ、私など中途半端だなあと感ずるほかなかった。ただその本好きのことを語る知人のほうがなぜか自慢げで、貴様のことでもないのによくもこんな厚顔でいられるものだと余計なことを思った。

「その本好きの友人は」ーー彼はただでさえ腹立たしい表情を、さらにいやらしげに歪めながらこう言ったーー「本に埋もれて死にたいって言っていたよ」

ふうんと思ったが、ハッとして、よくよく考えれば私のミジンコ級の人生哲学に反するものではないかと直感し、聞き流していた姿勢を軽く正してこう返答した。

「自分は本に埋もれて死ぬなんてまっぴらだなあ。なるべく長く生きて、いろんな、たくさんの素晴らしい本と出会いたいよ」

知人はなぜか急に自信を失ったようになって、それからなにも言い返すこともなく、この話題が終わった。とりあえず他人の威を借り我が物顔をしてみることの快楽というのは、実は私もよくわかる。かつて私こそ明らかにそういう人間だったし、現在もそうでないとは言いきれないからだ。まあ当時はひたすらいい気味だとしか思わなかったから、これはやはり私の性格の悪さ、性根の浅ましさを如実に表したエピソードでしかない。

しいて言えば、自分がわりと前から根のところでは思いのほか強く生に執着していること、これを端的に確かめられる場面であった。上で書いたように、私はできれば長生きしたい。ただ、最近たしかに量は減ってきたとはいえ相変わらず好きなものを食べているし、「寿命が縮んでもベーコンは食べたい」とか「命の危険があっても牡蠣は食べないといけない」とかのたまっているうちは危うい。特に肉のない人生など考えられない。おにくはおいしい。

 

そんな体たらくだから、ときどきギクリと思わされることがある。たとえばほぼ1年前あたりか、とある伝記を読んだときにはかなり考えを改めねばと感じた。そんなことがあったなと懐かしみながら、ここ数日は大橋一章『會津八一』を再読していた。

この時代にあって會津八一を知る人となるとかなり限られてくるだろう(人物紹介はしないので気になる方はWikiなど参照)。よほどの物好きか、多少アンテナの広い新潟県人か、気の利いた早○田大学関係者か、あるいはこれらの組み合わせか。私の場合は2番目であるが、別にアンテナは広くない。そして物好きではある。

余談だが、ずっと前に関西を訪れたとき、余計に休日を作ってまでして法隆寺へ行こうとした。目的は寺そのものではなく會津八一の碑文を見ることだった。そして建物にはほぼ目もくれず、石碑だけ読んで満足し、そのまま私は帰路についた。奈良の古寺を愛した八一本人に聞かれたら激怒されそうな話だ。

さて、會津八一は学者や歌人や書家など多様な顔を持ち、気むずかしさとユーモアを兼ね備えた人間くさい傑物だった(長山靖生日夏耿之介、内田百閒と並べて「日本三大不機嫌」といみじくも表現したように)。そして彼はなにより生きることを尊んだ、いまどき見つけるのが難しいほど「稀有なヒューマニスト」だった。その精神は彼が書いた学規にもよく現れている。

一、深くこの生を愛すべし

一、省みて己を知るべし

一、学藝を以て性を養ふべし

一、日々新面目あるべし

たしかに、とても重要そうなことを言っている気がする。ただ格式がありすぎてちょっといかめしいというか、具体的になにを言っているのか掴みとれないきらいもある。少なくとも初めてこれを見たときの私がそうだった。大橋も指摘するように、実は人によって受け取り方も様々に解釈可能であるからこそ現代にまで有効性を持つのだが、私の場合はもう少しのところで手がかかりきらず、最初はまだしっくりきていなかった。

しかし第二次大戦期、戦地に赴かねばならなくなった教え子に対して八一がかけたとされる言葉を読んで、ああそういうことか、とかなり深く納得できた。以下、長いうえに孫引きをして恐縮だがご覧いただきたい。

「君は今でも歌をつくっているか、つくり給え、良寛芭蕉も、君位の時につくった歌や俳句は全くなっていなかった。自分の調子が出るようになるのは、ずっと年をとってからだ。井戸水をどんどん汲み出し、汲みつくしたあとで、ほんとの地下水が湧き出る。つづけて歌をつくれ。省みればわたしは欲が深かった。若い時何でもやった。書、歌、俳句、画、研究、篆刻、ほかの人が一生かかってやるものを、一度にやり始めた。しかし、途中で若死すれば、どれもこれも虻蜂とらずになる。芭蕉は五十で死んだが、ほんとによい句は、四十以後だ。良寛、一茶、みな六、七十まで生きた。長生きして実らせなければならない」

いまさら私が細かい説明を加えるまでもない。見てほしいのは上記の四則が非常に具体的に現れていること、そして會津八一自身がその体現者であるということだ。こうした全面的な生の肯定、すなわち良い意味でのエゴイズムの是認は、多くの者に勇気を与え、生きたいと思わせてくれる。

そして私にはそう感じられたと同時に、きっと勘違いでもあるけれど、自分の素人創作についても励まされている気がして嬉しかった。しぶとく生きて、小さな問題にいちいち煩悶しながら、自分の納得のペースでその追求の道を進んでもいい、と。今後自分がどうなるかなんて予測できないけれど、こんな甘苦な楽しみが早くに終わってしまうなんて、たしかにいまは考えたくない。だからときおり噛みしめるように想起することがある。「深くこの生を愛すべし…」

本書は、それまでも相応に會津八一の魅力を感じていた私に新たな側面を教えてくれた。内容は礼賛ではないが真摯で奥深い敬意が感じられ、人物誌の枠におさまらない幅広い精神史的射程を持つ力作だった。ほぼ1年ぶりに読み直し、新たな発見があったようなところも書物としての価値の高さを示しているとも……前に読んだとき全然頭に入っていなかったとも言えるな?

 

その一方で、夭折の天才というのもすごい。あいつらは本当にすごい。まじ半端ない。ほんの短い人生のなかでも偉大な足跡を遺すんだもの。なかには私よりも年下で亡くなって者もいる。ラディゲの年齢なんか知ったときにはもう過ぎていたし、気づけばキーツも追い越し、ノヴァーリスの背中も見えてきた。

もちろんそのへんの年齢で終わるつもりはない。私は凡人だから彼らのように濃密で意義のある仕事は一生かかったとしてもできない。でも凡人だからこそ長く生きたい。だからといってだらだら怠けすぎるのもよくないということで、未完となっている『英国式鎮魂狂想曲』の執筆は12月に再開する予定だ。引き続き、粗末であろうとも胸を張って創作をしてゆきたい。

本日11月29日、いいにくの日、私の誕生日。いろいろ考えたり書いたりしたけれど、今年もなんとなく終わりそうだ。せっかくだから、最後にそれっぽく會津八一の歌を置いて締めることにしよう。詠んだのは11月じゃなさそうだけど、いて座に生まれた私の好きな1首。

ひびき なき サジタリアス の ゆみ の を の

かど の かれき に かかる このごろ